失われていくのがわかっててどうすることもできないことの方が、失ってしまったものを嘆くより辛いのかもしれない。

正直元から追い切れていなかったタメ旅はここ三か月一度も見ていないし、がつーんも聞けていない。地味に毎月楽しみにしていた少プレはあれ以来プレミアムショーしか見ていない。

あ、そういえば先月のはまだ見てない。

過去二度大好きだった人がいきなり大好きなグループからいなくなった。

二回とも、わかっていたならもっとちゃんと目に焼き付けておくべきだった。グループの中にいる彼らを大事にするべきだった。

って思っていたけど

実際脱退を予告されると、グループで笑う彼らが見れなくなった。

だってこれまでと変わらない顔で笑うから。数か月後には、一か月後にはいなくなっちゃうはずなのにそんなの嘘みたいに今までと変わらないKAT-TUNを見せてくれるから。

そりゃ、ぼろぼろになられても、ぎこちないところを見せられても、きっとそれは失望しちゃうけど。でも変わらないいつものKAT-TUN見せられると楽しく見ててもふとした瞬間に現実に気づいてしまう。彼らが最後まで”KAT-TUN”を魅せてくれようとしてるのに。

彼らがいつもと変わらないKAT-TUNなんじゃなくて、いつもと同じKAT-TUNでいようとしてくれていることに気づいてしまう。

いつもと同じなのに、田口君はもうすぐいなくなる。KAT-TUNはもうすぐ活動休止してしまう。

もどかしいし、悔しいのに、KAT-TUNもファンもみんなそれがわかってるのに、どうすることもできない。手遅れではないのに、でももう諦めるしかない。まだそこにあるのに、失っていくのをただ見てることしかできない。

どうしてもやめないでって思ってしまう。こんなに楽しそうな顔で笑ってるのに何で、って。

その気持ちばかりが先行して、どうしても楽しめない。

まだやっぱり理解はできても、どうしても納得はできない。

もしかしたら三人も同じなのかもしれないけど。

 

失ってから失ってしまったことを嘆くことの方がずっと簡単なのかもしれない。

ここしばらく見れていないKAT-TUNは彼らの充電期間中にわたしの充電用に見ることになるんだろうなあ。またいつもみたいに戻らない時を嘆きながら。

 

充電満タンになったKAT-TUNがまた私を魅了してくれるのを待ちながら。

ああ、コンサート行きたかったなあ。